Essay
内定者エッセイ
講談社採用ホームページ名物の「内定者エッセイ」。
今年度もバラエティ豊かな内定者が、受験するにあたっての決意、
面接に向けた奇策、試験を経て得たことなどなど、とことん本音の就活体験を綴っています。
でも、これらはヒントにこそなれ、答えにはなりません。
一人ひとりの「ありのまま」をご覧いただきつつ、あなただけの就活物語を紡いでいってください。
Essay
講談社採用ホームページ名物の「内定者エッセイ」。
今年度もバラエティ豊かな内定者が、受験するにあたっての決意、
面接に向けた奇策、試験を経て得たことなどなど、とことん本音の就活体験を綴っています。
でも、これらはヒントにこそなれ、答えにはなりません。
一人ひとりの「ありのまま」をご覧いただきつつ、あなただけの就活物語を紡いでいってください。
早期化に焦りを感じていた私は、三年の春から就活を始めた。講談社から内々定をいただいたのは翌年四月。就活に追われた一年だった。 毎日のようにESを書き、面接を受けた。しかし、「ここで働きたい」と思える企業には出会えなかった。 今思えば、「就活を進めること」が目的になっていたのだと思う。周りに置いていかれたくない一心で、興味の有無にかかわらず応募を続けていた。「自分は何に心ときめくのか」という問いに最初に向き合うべきだった。 夏休みが終わる頃には就活への気力を失っていた。逃げるように、就活に充てていた時間は漫画を読んで過ごした。図書館にもまた通うようになった。 そんな日々の中で、改めて思ったのだ。「ものがたりって、なんて面白いんだろう」と。『ひゃくえむ。』という作品に触れたことも大きかった。胸が熱くなり、「誰かの心を揺さぶる仕事がしたい」と思った。思えば小さい頃の私は本の虫だった。秋には「出版社を本気で目指そう」と決めた。 講談社のESはかなり重かったが、不思議と苦ではなかった。生成AIに頼ろうとは思わなかったし、伝えたいことが次々と浮かんできた。面接も「ガクチカ」や「長所・短所」といった定番の質問はほとんどなく、「『ひゃくえむ。』を少女漫画にするとしたら?」といった、突拍子もない問いばかりだった。鋭い質問も多かった。それでも私は、うまく答えようとするのではなく、焦らず、自分の言葉で最後まで話すことを心がけた。作品名が思い出せなかったこともあったが、「忘れてしまいました」と正直に伝えると、面接官は笑ってくださった。「講談社の面接は楽しい」と聞いてはいたけれど、本当にその通りだった。取り繕った私ではなく、等身大の私の話を聞いてもらえたからだ。 私は一年間、遠回りをした。でも、その分、自分が何を好きで、何を仕事にしたいのかを、自分の言葉で語れるようになった。それが私にとって何より大きな収穫だ。 編集/コミック志望
「遠回り」の効能 編集/コミック志望
早期化に焦りを感じていた私は、三年の春から就活を始めた。講談社から内々定をいただいたのは翌年四月。就活に追われた一年だった。
毎日のようにESを書き、面接を受けた。しかし、「ここで働きたい」と思える企業には出会えなかった。
今思えば、「就活を進めること」が目的になっていたのだと思う。周りに置いていかれたくない一心で、興味の有無にかかわらず応募を続けていた。「自分は何に心ときめくのか」という問いに最初に向き合うべきだった。
夏休みが終わる頃には就活への気力を失っていた。逃げるように、就活に充てていた時間は漫画を読んで過ごした。図書館にもまた通うようになった。
そんな日々の中で、改めて思ったのだ。「ものがたりって、なんて面白いんだろう」と。『ひゃくえむ。』という作品に触れたことも大きかった。胸が熱くなり、「誰かの心を揺さぶる仕事がしたい」と思った。思えば小さい頃の私は本の虫だった。秋には「出版社を本気で目指そう」と決めた。
講談社のESはかなり重かったが、不思議と苦ではなかった。生成AIに頼ろうとは思わなかったし、伝えたいことが次々と浮かんできた。面接も「ガクチカ」や「長所・短所」といった定番の質問はほとんどなく、「『ひゃくえむ。』を少女漫画にするとしたら?」といった、突拍子もない問いばかりだった。鋭い質問も多かった。それでも私は、うまく答えようとするのではなく、焦らず、自分の言葉で最後まで話すことを心がけた。作品名が思い出せなかったこともあったが、「忘れてしまいました」と正直に伝えると、面接官は笑ってくださった。「講談社の面接は楽しい」と聞いてはいたけれど、本当にその通りだった。取り繕った私ではなく、等身大の私の話を聞いてもらえたからだ。
私は一年間、遠回りをした。でも、その分、自分が何を好きで、何を仕事にしたいのかを、自分の言葉で語れるようになった。それが私にとって何より大きな収穫だ。
「出版社に入る人間は、何かに突き抜けた変人でなければならない」 就職活動を始めた頃の私は、そんな思いを抱えていた。周囲を圧倒するキャラクターや唯一無二の何か。それらを持たない私は、果たして戦い抜けるのだろうか。母や親友から「貴方は変わってる」と言われるが、具体的にどこがどう〈変〉で、どうアピールすべきなのかさっぱりわからなかった。 そこで、まずは徹底的に自分と向き合った。家族や友人に話を聞き、ノートに書き連ねる。そこで見えてきたのは、昔から「好き」を貫き、真っ直ぐ突き進んできた自分の姿だった。こよなく愛するマレーバクや昭和のアニメ。熱量そのものが他者との差別化であり、私の強みだったのだ。 自分を見つめ直す私に、母はこう言ってくれた。 「大丈夫、貴方も変わってるから」。 その言葉は、何者かにならなければと焦っていた私の心を軽くしてくれた。 ノートを見返す中で、私の原点は『セサミストリート』の「エルモ」にあると気づいた。エルモは私にとって人生の友達であり、師匠だ。作中で「Elmo loves to learn」と彼は叫ぶ。当時3歳の私はその無邪気な姿に憧れ、エルモのように何かに夢中になってみたいと幼いながらに思った。 そして実際に熱中したものこそ、子ども誌『おともだち』である。付録で遊び、毎月書店で買ってもらえることが楽しみだった。大人になった今も店頭で最新号を見るたび、あの頃のトキメキが蘇る。この媒体で「“可愛い”から始まる“学び”を子どもに届けたい」という思いは、確信へと変わっていった。 講談社の面接は、楽しかった。母の言葉をお守りとして、飾らずに話せたからだ。三次面接で「媒体への愛が伝わってきた」と言われた瞬間、胸の奥が熱くなった。 無理に「変人」を演じる必要なんてなかった。バラバラな「好き」の欠片も、全て集めればそれが私になる。とことん深掘り続けること。その〈変愛〉こそが、私だけのキャラクターだった。 編集/児童・学習志望
大丈夫、貴方も変わってるから。 編集/児童・学習志望
「出版社に入る人間は、何かに突き抜けた変人でなければならない」
就職活動を始めた頃の私は、そんな思いを抱えていた。周囲を圧倒するキャラクターや唯一無二の何か。それらを持たない私は、果たして戦い抜けるのだろうか。母や親友から「貴方は変わってる」と言われるが、具体的にどこがどう〈変〉で、どうアピールすべきなのかさっぱりわからなかった。
そこで、まずは徹底的に自分と向き合った。家族や友人に話を聞き、ノートに書き連ねる。そこで見えてきたのは、昔から「好き」を貫き、真っ直ぐ突き進んできた自分の姿だった。こよなく愛するマレーバクや昭和のアニメ。熱量そのものが他者との差別化であり、私の強みだったのだ。
自分を見つめ直す私に、母はこう言ってくれた。
「大丈夫、貴方も変わってるから」。
その言葉は、何者かにならなければと焦っていた私の心を軽くしてくれた。
ノートを見返す中で、私の原点は『セサミストリート』の「エルモ」にあると気づいた。エルモは私にとって人生の友達であり、師匠だ。作中で「Elmo loves to learn」と彼は叫ぶ。当時3歳の私はその無邪気な姿に憧れ、エルモのように何かに夢中になってみたいと幼いながらに思った。
そして実際に熱中したものこそ、子ども誌『おともだち』である。付録で遊び、毎月書店で買ってもらえることが楽しみだった。大人になった今も店頭で最新号を見るたび、あの頃のトキメキが蘇る。この媒体で「“可愛い”から始まる“学び”を子どもに届けたい」という思いは、確信へと変わっていった。
講談社の面接は、楽しかった。母の言葉をお守りとして、飾らずに話せたからだ。三次面接で「媒体への愛が伝わってきた」と言われた瞬間、胸の奥が熱くなった。
無理に「変人」を演じる必要なんてなかった。バラバラな「好き」の欠片も、全て集めればそれが私になる。とことん深掘り続けること。その〈変愛〉こそが、私だけのキャラクターだった。
いつのまにか2025年もあと少しになっていた。 私は大学で合唱団に入っている。物心つく前から始めた合唱はいつのまにか生活の一部のようになっていて、それでもプロの音楽家を目指しているわけではない私は「たっくさん歌っとかないとなぁ!」と大学生活の多くを合唱に費やしていた。 「夏はコンクールあるからね」「年末は演奏会が多いからね」と就活から目をそらしているうちに2025年は終わっていき、年明けにはもう講談社のエントリー締め切りが迫っていた。 埋められるところから埋めていこうとエントリーシートを書き始める。 「合唱の話ばっかりしてるけど大丈夫かな」と思いつつ書き進めて、結局ギリギリの提出になってしまった。 「合唱をずっとやってきたみたいだけど、それ関係の仕事は考えていないの?」聞かれるとは思っていたけれど、一次面接の最初に聞かれた。 たぶんこれからも歌うことはやめない。ただ仕事にはしない。 そして何より私は本も大好きなのだ。誰かの物語がキュッとまとまったあの物体が愛おしい。 これからの人生、本とお歌の二つで人生を埋め尽くしてしまいたい。そう思ってここにいる。そんな気持ちを素直に伝えた。 事実、私の暮らす6畳の和室には本棚ぐらいしか家具がない。あとはこたつ。のび太の部屋を想像してほしい。 一人暮らし開始と共に買った本棚は本と楽譜ですでに溢れそうになっていて、他のものは入りそうにない。 大好きな本をつくり届ける仕事をして、たまに大好きな歌を歌う。とっても贅沢で欲張りな未来予想図だと振り返ってみても思う。受け入れてくれたことに感謝である。 少し話はそれるが、進む面接の中で「合唱の魅力」を聞かれた。私生活でも聞かれることはあって、その度に手をかえ品をかえ話してきたのだが、手ごたえを感じることはほとんどない。 しかし面接を担当してくださった方々は終始興味深そうに私の語りを聞いてくれて、それがなんとも嬉しかったことを覚えている。 編集/文芸・ライトノベル志望
よくばり進路選択 編集/文芸・ライトノベル志望
いつのまにか2025年もあと少しになっていた。
私は大学で合唱団に入っている。物心つく前から始めた合唱はいつのまにか生活の一部のようになっていて、それでもプロの音楽家を目指しているわけではない私は「たっくさん歌っとかないとなぁ!」と大学生活の多くを合唱に費やしていた。
「夏はコンクールあるからね」「年末は演奏会が多いからね」と就活から目をそらしているうちに2025年は終わっていき、年明けにはもう講談社のエントリー締め切りが迫っていた。
埋められるところから埋めていこうとエントリーシートを書き始める。
「合唱の話ばっかりしてるけど大丈夫かな」と思いつつ書き進めて、結局ギリギリの提出になってしまった。
「合唱をずっとやってきたみたいだけど、それ関係の仕事は考えていないの?」聞かれるとは思っていたけれど、一次面接の最初に聞かれた。
たぶんこれからも歌うことはやめない。ただ仕事にはしない。
そして何より私は本も大好きなのだ。誰かの物語がキュッとまとまったあの物体が愛おしい。
これからの人生、本とお歌の二つで人生を埋め尽くしてしまいたい。そう思ってここにいる。そんな気持ちを素直に伝えた。
事実、私の暮らす6畳の和室には本棚ぐらいしか家具がない。あとはこたつ。のび太の部屋を想像してほしい。
一人暮らし開始と共に買った本棚は本と楽譜ですでに溢れそうになっていて、他のものは入りそうにない。
大好きな本をつくり届ける仕事をして、たまに大好きな歌を歌う。とっても贅沢で欲張りな未来予想図だと振り返ってみても思う。受け入れてくれたことに感謝である。
少し話はそれるが、進む面接の中で「合唱の魅力」を聞かれた。私生活でも聞かれることはあって、その度に手をかえ品をかえ話してきたのだが、手ごたえを感じることはほとんどない。
しかし面接を担当してくださった方々は終始興味深そうに私の語りを聞いてくれて、それがなんとも嬉しかったことを覚えている。
就職活動を始めた当初、私はデータサイエンティストを目指していました。適職診断や就活サポート本に載っていた自己分析などを行った結果です。データサイエンティストのインターンシップにも参加し、その仕事に就けば楽しく働けると信じていました。 けれど、インターンシップでの経験を通して気がついたのは、私が仕事に熱心になるには、どんな形であれ、自分の好きなものに関わることが欠かせないということです。 インターンシップでの仕事は楽しかったものの、もともと関心度の低い商品を扱ったため、熱意や当事者意識を持ち続けるのが難しかったのです。 そこで私は、熱意や「好き」を届けることができるエンタメ業界を目指すことにしました。当初はまだ出版社に絞っていたわけではありません。講談社も、広く応募していた企業のうちの一つでした。けれど、講談社のESを書き、面接で作品について語るたびに、自分でも驚くほど自然に言葉が溢れてくることに気づきました。そのとき初めて、自分は出版物にこれほど強い熱意を持っていたのだと実感しました。 そして私は今、入社を控え、講談社でなら、どんな職種でも熱意を持って働けるだろうと思えています。 私は、熱意を持てる対象を見つけるまで遠回りをしました。その間の行き先が見えない不安は今でも覚えています。私は運良く、自分が心から熱意を持てる企業に出会うことができました。でも、それは最初から志望先を絞っていたからではありません。もちろん、最初から自分の熱意がわかっているに越したことはありません。けれど、それがわからなかった私は、様々な企業を受け、様々な作品や媒体について語る中で、ようやく自分の熱意を見つけることができたんだと思います。 だから、過去の私には「答えを見つけてから動こうとしなくてもいい」と伝えたいです。答えがわからないまま進んでいるからこそ不安だけれど、それも一つの道なんだよ、と励ましてあげたいです。 営業/マーケティング・プロモーション志望
何を目指したらいいのかわからない不安 営業/マーケティング・プロモーション志望
就職活動を始めた当初、私はデータサイエンティストを目指していました。適職診断や就活サポート本に載っていた自己分析などを行った結果です。データサイエンティストのインターンシップにも参加し、その仕事に就けば楽しく働けると信じていました。
けれど、インターンシップでの経験を通して気がついたのは、私が仕事に熱心になるには、どんな形であれ、自分の好きなものに関わることが欠かせないということです。
インターンシップでの仕事は楽しかったものの、もともと関心度の低い商品を扱ったため、熱意や当事者意識を持ち続けるのが難しかったのです。
そこで私は、熱意や「好き」を届けることができるエンタメ業界を目指すことにしました。当初はまだ出版社に絞っていたわけではありません。講談社も、広く応募していた企業のうちの一つでした。けれど、講談社のESを書き、面接で作品について語るたびに、自分でも驚くほど自然に言葉が溢れてくることに気づきました。そのとき初めて、自分は出版物にこれほど強い熱意を持っていたのだと実感しました。
そして私は今、入社を控え、講談社でなら、どんな職種でも熱意を持って働けるだろうと思えています。
私は、熱意を持てる対象を見つけるまで遠回りをしました。その間の行き先が見えない不安は今でも覚えています。私は運良く、自分が心から熱意を持てる企業に出会うことができました。でも、それは最初から志望先を絞っていたからではありません。もちろん、最初から自分の熱意がわかっているに越したことはありません。けれど、それがわからなかった私は、様々な企業を受け、様々な作品や媒体について語る中で、ようやく自分の熱意を見つけることができたんだと思います。
だから、過去の私には「答えを見つけてから動こうとしなくてもいい」と伝えたいです。答えがわからないまま進んでいるからこそ不安だけれど、それも一つの道なんだよ、と励ましてあげたいです。
就活中、講談社の内定者エッセイに並ぶ「自分に正直に」という言葉に納得できなかった。それでご縁をいただけるなら苦労はしない。今もそう思う節すらある。 大学院生の私は、学部生の際も講談社を志望し、いただいたご縁は3次面接まで。就活をしていれば数多受け取る「お祈り」メールのほんの1つだが、私にとってはたった1つの会社だった。 2年前の私の就活は、自分の「好き」を話すことに執着していた。自分に自信はないが、大好きなコンテンツたちは面白い。だからこそ、私の好きなものを全人類に好きになってもらいたくて就活に臨んだ。 しかし、目の前に立つ面接官は、その「好き」なコンテンツの制作に0から携わった方々で、「好き」なんて当たり前だった。私が好きなものを、私なしでつくった会社は、片思いで選ばれるほど緩くはない。であれば、私を「好きになってもらうしかない」。馴染みのある言葉である。まさに同担以外拒否の私が、「好き」に持っていた想いだった。 今回の面接のどこかで「就職活動は自分自身の推し活」と言った。推しを語る際の私は、相手にも推しを好きになってもらうために、とことん相手を楽しませる。推しの完璧じゃない部分も、そこが愛くるしいのだと伝える。これは就活も同じだ。推しだって常に自分に自信があるわけではない。私もない。でも私はそんな推しを愛しているのだから、捉え方次第で、自分自身だって推せるのだ。 そして、推し方にテンプレはない。一番相手に伝わり、楽しんでもらえるやり方を都度模索する。推しの布教に定石もはったりもないのだから、就活で自分を推す際も、隠すものなんてない。ただ、伝え方を考える。通り一遍の言葉ではない、自分だけの言葉で推し活をする。そうやって好きと向き合い続けた。 今思うと、これも1つの「自分に正直に」かもしれない。 当然、自分を推すことに迷いがないわけではない。ただ、講談社の度量の広さを信じることも、私の推し活だ。 編集/コミック志望
同担以外拒否 編集/コミック志望
就活中、講談社の内定者エッセイに並ぶ「自分に正直に」という言葉に納得できなかった。それでご縁をいただけるなら苦労はしない。今もそう思う節すらある。
大学院生の私は、学部生の際も講談社を志望し、いただいたご縁は3次面接まで。就活をしていれば数多受け取る「お祈り」メールのほんの1つだが、私にとってはたった1つの会社だった。
2年前の私の就活は、自分の「好き」を話すことに執着していた。自分に自信はないが、大好きなコンテンツたちは面白い。だからこそ、私の好きなものを全人類に好きになってもらいたくて就活に臨んだ。
しかし、目の前に立つ面接官は、その「好き」なコンテンツの制作に0から携わった方々で、「好き」なんて当たり前だった。私が好きなものを、私なしでつくった会社は、片思いで選ばれるほど緩くはない。であれば、私を「好きになってもらうしかない」。馴染みのある言葉である。まさに同担以外拒否の私が、「好き」に持っていた想いだった。
今回の面接のどこかで「就職活動は自分自身の推し活」と言った。推しを語る際の私は、相手にも推しを好きになってもらうために、とことん相手を楽しませる。推しの完璧じゃない部分も、そこが愛くるしいのだと伝える。これは就活も同じだ。推しだって常に自分に自信があるわけではない。私もない。でも私はそんな推しを愛しているのだから、捉え方次第で、自分自身だって推せるのだ。
そして、推し方にテンプレはない。一番相手に伝わり、楽しんでもらえるやり方を都度模索する。推しの布教に定石もはったりもないのだから、就活で自分を推す際も、隠すものなんてない。ただ、伝え方を考える。通り一遍の言葉ではない、自分だけの言葉で推し活をする。そうやって好きと向き合い続けた。
今思うと、これも1つの「自分に正直に」かもしれない。
当然、自分を推すことに迷いがないわけではない。ただ、講談社の度量の広さを信じることも、私の推し活だ。
ここから得られる教訓めいたものは何もないが、私の就活について書く。 スーツを着て講義を受ける友人に、聞けば面接があるからと言う凛とした表情をみて、焦燥、あるいは不安のような感情を抱いた1、2月。なんとか私も面接の機会を得て、そのために想定しうる質問の返答を考え、何度も声に出してみるも、その言葉に血が通っているようには思えず、私の人生なんてこんなもの、と落胆。それからは面接の練習も疎かに、傀儡のような身体で緩慢な日々を過ごしていた。 できることは、本を読むことだけだった。就活から目を背けたかったのかもしれない。物語や誰かの言葉の中に居られることはこの上ない幸福だった。面接の度に複数冊の本を携えたものだ。村上春樹『パン屋再襲撃』、内田百閒『東京日記』、V・ウルフ『灯台へ』等々。緊張で内臓が絡まったような面接前夜のビジネスホテルで、そこにある文字をずっと目で追いかけていた。この頃は何も考えられなかったのだよな、と改めて思う。 さて、当時は逃避としての読書だったが、思えばこれがよかった。自分自身について考え直すことになったし、未知の言葉や表現を手に入れることができた。ある面接で「最近気になっている日本語は」と聞かれ、うーむと悩む私の頭の中に、多和田葉子氏の『エクソフォニー』がじゃじゃんと登場したことがある。ここから(エクソフォニーは「母語の外に出た状態一般」の意)の連想で「越境」という言葉を得ることができた。他にも、読書をしながら考えた取り留めのない数々が、私の口から溢れてきた、という実感が確実にあった。 就活のノウハウも、必勝法も私には分からないが、気休めの読書は幾分か心を落ち着かせ、思いもよらぬところで何かをもたらすことは確からしい。 今後就活をするあなた、それはもう過去の話になったあなたにとっても、無数の言葉が今後を支えてくれることを願います。そして、この筆を置いて、エッセイは終わり。 校閲/校閲志望
読むこと、そして面接前夜のビジネスホテル 校閲/校閲志望
ここから得られる教訓めいたものは何もないが、私の就活について書く。
スーツを着て講義を受ける友人に、聞けば面接があるからと言う凛とした表情をみて、焦燥、あるいは不安のような感情を抱いた1、2月。なんとか私も面接の機会を得て、そのために想定しうる質問の返答を考え、何度も声に出してみるも、その言葉に血が通っているようには思えず、私の人生なんてこんなもの、と落胆。それからは面接の練習も疎かに、傀儡のような身体で緩慢な日々を過ごしていた。
できることは、本を読むことだけだった。就活から目を背けたかったのかもしれない。物語や誰かの言葉の中に居られることはこの上ない幸福だった。面接の度に複数冊の本を携えたものだ。村上春樹『パン屋再襲撃』、内田百閒『東京日記』、V・ウルフ『灯台へ』等々。緊張で内臓が絡まったような面接前夜のビジネスホテルで、そこにある文字をずっと目で追いかけていた。この頃は何も考えられなかったのだよな、と改めて思う。
さて、当時は逃避としての読書だったが、思えばこれがよかった。自分自身について考え直すことになったし、未知の言葉や表現を手に入れることができた。ある面接で「最近気になっている日本語は」と聞かれ、うーむと悩む私の頭の中に、多和田葉子氏の『エクソフォニー』がじゃじゃんと登場したことがある。ここから(エクソフォニーは「母語の外に出た状態一般」の意)の連想で「越境」という言葉を得ることができた。他にも、読書をしながら考えた取り留めのない数々が、私の口から溢れてきた、という実感が確実にあった。
就活のノウハウも、必勝法も私には分からないが、気休めの読書は幾分か心を落ち着かせ、思いもよらぬところで何かをもたらすことは確からしい。
今後就活をするあなた、それはもう過去の話になったあなたにとっても、無数の言葉が今後を支えてくれることを願います。そして、この筆を置いて、エッセイは終わり。
なんとなく就活を意識し始めた大学3年の頃から約3年、ことあるごとにそう思ってきた。説明会で頻繁に耳にする「ご縁」。最初は「ふーん、就活ってそういうもんか」とありがたく聞いていたが、いつしかご縁アレルギーを発症していた。落ちたら後がないと思い詰めていた当時、ご縁とは既に企業から選ばれた人だけが使える特権的な言葉に聞こえた。 ESが公開され、面接が近づくにつれて焦りは増した。目を引くガクチカも、読書量への自信もない。おまけにあがり症。15分で自分を売り込める気がしなかった。そんな私に誰がご縁を感じてくれるだろう。大好きな漫画『スキップとローファー』の8話に「とびきりの美人でもなければ/純粋でまっすぐにもなれない/私を一体誰が選ぶ?」という独白があるが、面接が始まるまでの日々はひたすら心細かった。 結果だけ言えば、ご縁はたしかに存在した。ただ、私が見つけたご縁の正体は「企業から感じてもらうもの」ではなく「講談社に自分をわかってもらえないなら、他の会社でも無理だろう」という激しい思い込みの末にある信頼だった。根拠は説明できなくても、水が合いそうだと思ったら引き返せなかった。毎月の質問会に参加しては画面の向こうに混ざって働く自分を妄想した。 そうして一方的な親近感を積み上げたおかげで、面接は思ったより緊張せず、代わりに褒められないような話までペラペラ喋っていた。死ぬのが怖くて他人の人生を追体験できる物語を求めていること。仕事は別だけど普段は人見知りなこと。3次面接では自分がどれだけTwitter育ちかを力説した。取り繕うより「聞いてほしい」と思えたのは、妄想仕込みの親近感と、どんな恥でも楽しそうに聞いてくれた面接官の方々のおかげだろう。 ずっと、ご縁という得体の知れない概念が怖かった。だからこそ、これを読みながら「ケッ、またご縁の話かよ」と思った人がいるなら、声を大にして言いたい。 ご縁は、勝手に感じたもん勝ちだ。 編集/コミック志望
ご縁って何? 編集/コミック志望
なんとなく就活を意識し始めた大学3年の頃から約3年、ことあるごとにそう思ってきた。説明会で頻繁に耳にする「ご縁」。最初は「ふーん、就活ってそういうもんか」とありがたく聞いていたが、いつしかご縁アレルギーを発症していた。落ちたら後がないと思い詰めていた当時、ご縁とは既に企業から選ばれた人だけが使える特権的な言葉に聞こえた。
ESが公開され、面接が近づくにつれて焦りは増した。目を引くガクチカも、読書量への自信もない。おまけにあがり症。15分で自分を売り込める気がしなかった。そんな私に誰がご縁を感じてくれるだろう。大好きな漫画『スキップとローファー』の8話に「とびきりの美人でもなければ/純粋でまっすぐにもなれない/私を一体誰が選ぶ?」という独白があるが、面接が始まるまでの日々はひたすら心細かった。
結果だけ言えば、ご縁はたしかに存在した。ただ、私が見つけたご縁の正体は「企業から感じてもらうもの」ではなく「講談社に自分をわかってもらえないなら、他の会社でも無理だろう」という激しい思い込みの末にある信頼だった。根拠は説明できなくても、水が合いそうだと思ったら引き返せなかった。毎月の質問会に参加しては画面の向こうに混ざって働く自分を妄想した。
そうして一方的な親近感を積み上げたおかげで、面接は思ったより緊張せず、代わりに褒められないような話までペラペラ喋っていた。死ぬのが怖くて他人の人生を追体験できる物語を求めていること。仕事は別だけど普段は人見知りなこと。3次面接では自分がどれだけTwitter育ちかを力説した。取り繕うより「聞いてほしい」と思えたのは、妄想仕込みの親近感と、どんな恥でも楽しそうに聞いてくれた面接官の方々のおかげだろう。
ずっと、ご縁という得体の知れない概念が怖かった。だからこそ、これを読みながら「ケッ、またご縁の話かよ」と思った人がいるなら、声を大にして言いたい。
ご縁は、勝手に感じたもん勝ちだ。
「これから一緒に漫画を作っていきましょう」 大学1年生の冬、週刊少年マガジンの編集者さんから何度も夢見た担当希望の電話がありました。 21時まで大学で実験をして、4時まで漫画を描き、4時間睡眠でまた大学へ。 僕は新人賞受賞を目指して、少年漫画の執筆にのめり込みました。 漫画を描くのは終わりが見えないマラソンを走り続けるような大変さがありました。 話をまとめるのがまず大変なのに、ペン入れにトーン処理。背景にだって気は抜けない。 次第にこれらの作業を短期間でこなす連載作家さんに尊敬の気持ちが育っていきました。 月日は流れ、同期が就活を始める中、担当さんと話している時に思いました。 方向性を失って絡み合った思考の糸が、編集者さんとお話しするだけで一本の線になる。 言うことすべてに納得できるわけではないけれど、背中を押してくれて、また頑張れる。 僕も作家さんを支えることができる編集者になりたいな。 大好きな作品がたくさんある講談社でその仕事ができたら嬉しい。 そう思い立ち、僕の出版就活は始まりました。 落ち着いた護国寺の街。素敵な社屋。 僕を知ろうと、楽しそうに会話してくれた自由でおおらかな面接官の方たち。 僕たちを気にかけて、寄り添ってくれた温かい人事部の方たち。 「ここで、この人たちと働きたいな」 どの面接も楽しくて、選考が進むたびにその気持ちは大きくなりました。 ところが、2年連続で採用試験を突破することができず、僕は製薬会社の研究者になりました。 ワクワクする創薬アイデアを考えては議論し、実験を繰り返す毎日は楽しくて仕方ありませんでした。 しかし、一度きりの人生。講談社で作家さんを支える人生でないと後悔するのではないか。 チャンスがあるのに、挑戦しない選択肢はありませんでした。 社会人2年目の春、人事部の方から何度も夢見た内々定の電話がありました。 「これから一緒に頑張っていきましょう」 今度は僕が電話をかける番です。 編集/コミック志望
三度迎えた春のこと 編集/コミック志望
「これから一緒に漫画を作っていきましょう」
大学1年生の冬、週刊少年マガジンの編集者さんから何度も夢見た担当希望の電話がありました。
21時まで大学で実験をして、4時まで漫画を描き、4時間睡眠でまた大学へ。
僕は新人賞受賞を目指して、少年漫画の執筆にのめり込みました。
漫画を描くのは終わりが見えないマラソンを走り続けるような大変さがありました。
話をまとめるのがまず大変なのに、ペン入れにトーン処理。背景にだって気は抜けない。
次第にこれらの作業を短期間でこなす連載作家さんに尊敬の気持ちが育っていきました。
月日は流れ、同期が就活を始める中、担当さんと話している時に思いました。
方向性を失って絡み合った思考の糸が、編集者さんとお話しするだけで一本の線になる。
言うことすべてに納得できるわけではないけれど、背中を押してくれて、また頑張れる。
僕も作家さんを支えることができる編集者になりたいな。
大好きな作品がたくさんある講談社でその仕事ができたら嬉しい。
そう思い立ち、僕の出版就活は始まりました。
落ち着いた護国寺の街。素敵な社屋。
僕を知ろうと、楽しそうに会話してくれた自由でおおらかな面接官の方たち。
僕たちを気にかけて、寄り添ってくれた温かい人事部の方たち。
「ここで、この人たちと働きたいな」
どの面接も楽しくて、選考が進むたびにその気持ちは大きくなりました。
ところが、2年連続で採用試験を突破することができず、僕は製薬会社の研究者になりました。
ワクワクする創薬アイデアを考えては議論し、実験を繰り返す毎日は楽しくて仕方ありませんでした。
しかし、一度きりの人生。講談社で作家さんを支える人生でないと後悔するのではないか。
チャンスがあるのに、挑戦しない選択肢はありませんでした。
社会人2年目の春、人事部の方から何度も夢見た内々定の電話がありました。
「これから一緒に頑張っていきましょう」
今度は僕が電話をかける番です。
小学生の頃からこつこつとつけてきた読書ノート。ずぼらな私はただシンプルに、読み終えた日付とその本の題名・作者だけを書いてきた。 2020年から2022年、私が高校生だった頃に記されたのはたったの18行。 3年間で、18冊。 小学生の頃、2週間ごとに図書館で上限10冊めいっぱいに本を借りていた私は、高校生になって精神をすり減らし、本が読めなくなった。 両手で砂をすくい、指のあいだからさらさらとこぼれ落ちていくように、活字を追う目がすべってゆく。 苦しい3年間だったと思う。 出版社に興味はあったけれども、本を読むことにすっかり自信を失った私は「自分は本が好きといえるのか」という根本的なところで揺れていた。 ブランクは相当なもので、どう取り繕っても読書量は多くない。 私の「好き」は内定者エッセイに頻出する「好き」に遠く及ばないのではないか。 「本が好き」という言葉を裏付けるに足る量を読んできた人たちと、私は戦うどころかスタートラインにさえ立てていないのではないか。 私が一番苦しかったとき、本は私を救ってはくれなかった。本に裏切られたようにすら思ったのに。 本が好きかわからないのに、どうして出版社にいきたいの? ESを書きながら、面接準備をしながら、何度も何度も自分に問うた。 ふと思い出す。 あの3年間、読めなくても図書館で本を借りる癖は抜けなかった。 借りては読まずに返していたあの空虚な時間は、それでも、私と本をつなぎとめた。だから18冊も読めたのだ。本の持つ言葉に助けられた。 あの3年間、本を読む代わりにアニメを観た。アニメのなかにも本と同じく息づいている無数の言葉に、掬いあげられるような日々だった。 いつだって、私は言葉とともにあった。 そのことに気づいたとき、言葉を扱う仕事がしたいと強く思った。 私は結局、本や言葉がなくては生きられないのだ。 その逃れがたさを、「好き」と名付けたっていいだろう。 「好き」のカタチは一つではないと思うから。 校閲/校閲志望
「好き」ってなに? 校閲/校閲志望
小学生の頃からこつこつとつけてきた読書ノート。ずぼらな私はただシンプルに、読み終えた日付とその本の題名・作者だけを書いてきた。
2020年から2022年、私が高校生だった頃に記されたのはたったの18行。
3年間で、18冊。
小学生の頃、2週間ごとに図書館で上限10冊めいっぱいに本を借りていた私は、高校生になって精神をすり減らし、本が読めなくなった。
両手で砂をすくい、指のあいだからさらさらとこぼれ落ちていくように、活字を追う目がすべってゆく。
苦しい3年間だったと思う。
出版社に興味はあったけれども、本を読むことにすっかり自信を失った私は「自分は本が好きといえるのか」という根本的なところで揺れていた。
ブランクは相当なもので、どう取り繕っても読書量は多くない。
私の「好き」は内定者エッセイに頻出する「好き」に遠く及ばないのではないか。
「本が好き」という言葉を裏付けるに足る量を読んできた人たちと、私は戦うどころかスタートラインにさえ立てていないのではないか。
私が一番苦しかったとき、本は私を救ってはくれなかった。本に裏切られたようにすら思ったのに。
本が好きかわからないのに、どうして出版社にいきたいの?
ESを書きながら、面接準備をしながら、何度も何度も自分に問うた。
ふと思い出す。
あの3年間、読めなくても図書館で本を借りる癖は抜けなかった。
借りては読まずに返していたあの空虚な時間は、それでも、私と本をつなぎとめた。だから18冊も読めたのだ。本の持つ言葉に助けられた。
あの3年間、本を読む代わりにアニメを観た。アニメのなかにも本と同じく息づいている無数の言葉に、掬いあげられるような日々だった。
いつだって、私は言葉とともにあった。
そのことに気づいたとき、言葉を扱う仕事がしたいと強く思った。
私は結局、本や言葉がなくては生きられないのだ。
その逃れがたさを、「好き」と名付けたっていいだろう。
「好き」のカタチは一つではないと思うから。
本が大好きで、小学生の時から、編集者になりたかった。 中高では図書委員かつ文芸部員、大学は文学部、サークルも雑誌出版サークル。もちろん出版社志望。 就活を始めると、自分のプロフィールは周りと比べて地味ではないか、と不安になった。講談社の採用ホームページを見ても、面白そうな経験を積んだ人たちがわんさか出てくる。「本が好き」なだけでは、ダメなんじゃないか。もしかして自分は、出版社に入るにはあまりにも「つまらない人間」なんじゃないか? 危機感を覚えた私は、ひとまず今からできることは全部やろうと、ESのテンプレを覚え、面接の口上を暗記した。真面目なので、そういった「勉強」は得意だった。 でも、笑顔を張り付けて選考に参加するたびに、自分の言葉がだんだん薄くなっていく気がしていた。 内定を一つも獲得できないまま、恐々と講談社のES設問を読み始めた。ひとまず読むだけにするつもりが、気づくとつい、書き始めていた。途中から時間の感覚がなくなり、ひたすらキーをたたき続ける。 結局その時、私の味方になってくれたのは、大好きな本と、それを通じて得た経験だった。 好きな本を友達に薦めて読んでもらえたこと、未邦訳の児童書読みたさに英語を猛勉強したこと、本を通じて、自分がいかに広い世界を教えてもらっていたか。それらを紐解き、ぶつけていく。そうして自分という人間の内面を書き上げていく時間は、「本当にこれが就活でいいのか」と思うくらい、楽しかった。 「本が好き」な人はたくさんいるとして、それによって形作られた「私」という人間と、私が考えていること、私がしたいことは唯一のものだ。だったら、私も、他の誰もと同じように「つまらない人間」などではない。 振り返ってみると、どの会社のどの面接でも、面接官の方に、優しい笑顔と共に言われた言葉がある。 「本当に、本が好きなんですね」 「ああ、伝わった」と思った。 そうなんです。私は、本が大好きです。 編集/文芸・ライトノベル志望
自分の言葉を探して 編集/文芸・ライトノベル志望
本が大好きで、小学生の時から、編集者になりたかった。
中高では図書委員かつ文芸部員、大学は文学部、サークルも雑誌出版サークル。もちろん出版社志望。
就活を始めると、自分のプロフィールは周りと比べて地味ではないか、と不安になった。講談社の採用ホームページを見ても、面白そうな経験を積んだ人たちがわんさか出てくる。「本が好き」なだけでは、ダメなんじゃないか。もしかして自分は、出版社に入るにはあまりにも「つまらない人間」なんじゃないか?
危機感を覚えた私は、ひとまず今からできることは全部やろうと、ESのテンプレを覚え、面接の口上を暗記した。真面目なので、そういった「勉強」は得意だった。
でも、笑顔を張り付けて選考に参加するたびに、自分の言葉がだんだん薄くなっていく気がしていた。
内定を一つも獲得できないまま、恐々と講談社のES設問を読み始めた。ひとまず読むだけにするつもりが、気づくとつい、書き始めていた。途中から時間の感覚がなくなり、ひたすらキーをたたき続ける。
結局その時、私の味方になってくれたのは、大好きな本と、それを通じて得た経験だった。
好きな本を友達に薦めて読んでもらえたこと、未邦訳の児童書読みたさに英語を猛勉強したこと、本を通じて、自分がいかに広い世界を教えてもらっていたか。それらを紐解き、ぶつけていく。そうして自分という人間の内面を書き上げていく時間は、「本当にこれが就活でいいのか」と思うくらい、楽しかった。
「本が好き」な人はたくさんいるとして、それによって形作られた「私」という人間と、私が考えていること、私がしたいことは唯一のものだ。だったら、私も、他の誰もと同じように「つまらない人間」などではない。
振り返ってみると、どの会社のどの面接でも、面接官の方に、優しい笑顔と共に言われた言葉がある。
「本当に、本が好きなんですね」
「ああ、伝わった」と思った。
そうなんです。私は、本が大好きです。
何者でもない私が唯一、講談社への就活でできたのは「自分が面白いと思ったものは面白いし、つまらないと思ったものはつまらない」と信じ抜くことだ。 私は就活にひどく惑わされた。「就活次第で人生が決まる」という世間の言葉に心を振り回された。「自分だけは惑わされないぞ」と意気込んでいたが、周囲の熱気に当てられ、本を読むことすら手につかなくなった時期もある。志望度が高くない企業の不採用でさえ、私の自信や本音を奪っていった。 そんな折れそうな背骨を支えてくれたのが、茨木のり子氏の詩の一節だった。 「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」 ここでいう感受性とは、誰も気づかないような鋭い視点や、センスあふれる表現力のことではないと思う。「面白いものは面白い、つまらないものはつまらない」と自分の感性を信じて守ること。就活に揉まれ、自信を失っていた私が、数多ある企業の中から講談社に挑む上で唯一できるのは、それだけだった。 中学生の頃、村上龍と村上春樹を初めて読み、私は小説の虜になった。私はこの「W村上」のどちらも好きだったが、周りに読書が好きな人はおらず、また「読書なんてカッコつけている」と思われたくなく、読書好きを隠していた。 講談社の2次面接で、「最後に何か言いたいことはありますか」と聞かれた。 私は、ここで自分の本音を言わなければ後悔すると思った。中学時代に溜め込んだ「好き」という気持ちを吐き出したく、「村上龍と村上春樹の対談集の第二弾を発売してほしいです」と滑り込ませた。 言った瞬間に、「これじゃただのファンじゃないか」と後悔した。 しかし、一瞬の間が空き、面接官はこう言ってくれた。「なら、君が入社して作ればいいじゃないか」 「自分が面白いと思ったものは面白いし、つまらないと思ったものはつまらない」 私ができたのは、その感受性を守ることだけだった。しかし同時に、一番必要なことだったのかもしれない。 編集/文芸・ライトノベル志望
唯一できること 編集/文芸・ライトノベル志望
何者でもない私が唯一、講談社への就活でできたのは「自分が面白いと思ったものは面白いし、つまらないと思ったものはつまらない」と信じ抜くことだ。
私は就活にひどく惑わされた。「就活次第で人生が決まる」という世間の言葉に心を振り回された。「自分だけは惑わされないぞ」と意気込んでいたが、周囲の熱気に当てられ、本を読むことすら手につかなくなった時期もある。志望度が高くない企業の不採用でさえ、私の自信や本音を奪っていった。
そんな折れそうな背骨を支えてくれたのが、茨木のり子氏の詩の一節だった。
「自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ」
ここでいう感受性とは、誰も気づかないような鋭い視点や、センスあふれる表現力のことではないと思う。「面白いものは面白い、つまらないものはつまらない」と自分の感性を信じて守ること。就活に揉まれ、自信を失っていた私が、数多ある企業の中から講談社に挑む上で唯一できるのは、それだけだった。
中学生の頃、村上龍と村上春樹を初めて読み、私は小説の虜になった。私はこの「W村上」のどちらも好きだったが、周りに読書が好きな人はおらず、また「読書なんてカッコつけている」と思われたくなく、読書好きを隠していた。
講談社の2次面接で、「最後に何か言いたいことはありますか」と聞かれた。 私は、ここで自分の本音を言わなければ後悔すると思った。中学時代に溜め込んだ「好き」という気持ちを吐き出したく、「村上龍と村上春樹の対談集の第二弾を発売してほしいです」と滑り込ませた。
言った瞬間に、「これじゃただのファンじゃないか」と後悔した。
しかし、一瞬の間が空き、面接官はこう言ってくれた。「なら、君が入社して作ればいいじゃないか」
「自分が面白いと思ったものは面白いし、つまらないと思ったものはつまらない」 私ができたのは、その感受性を守ることだけだった。しかし同時に、一番必要なことだったのかもしれない。
正直、昔から自分のことは大好きだ。でも外見にも中身にもたくさんコンプレックスがあって、長所よりも短所ばかりが目につく。だから就活で自分を売り込むなんてことやりたくなかった。 どうにか進路を定めて、就活に力を入れ始めたのは12月から。本選考の情報も出始めていて、「出版就活」という船には今ある手元の荷物だけで乗り込むしかなかった。何が私のセールスポイントなのかも分からず手探りで、急ピッチで作品名や作者名を頭に叩き込んで、緊張したら全部忘れて。まずは笑顔とノリだけで突き進んだ。 「20歳の自分へ」と、宛名書きされたかつての自分が書いた手紙のことを急に思い出して、棚の奥から引っ張り出したのは三次面接の直前だった。成人式でこれを受け取った時は、当時の厨二病真っ盛りだった自分を見たくなくて、そのまま棚に放り込んでいた。 「今幸せですか? 夢を追いかけていますか? kzはまだ好きですか?」 就活からの現実逃避に開けてみた。目も当てられないくらいイタいところもあったけれど、純粋でキラキラしていて、後に黒歴史になるなんて考えていなかった時の自分が眩しかった。 嫌になるほど痛々しい自分。黒歴史だと封印してきた自分。憧れだけを追いかけてそれで失敗して、忘れてしまいたくて、隠してしまいたい。でもそれこそが私の個性だったんじゃないか。初めてそれを認めることができた。 「学生時代どんな子だったの?」 どう答えようか。どう準備するか。 正解らしきものを探すことよりも私という人間を伝えることに切り替えた途端、迷うこともなくスラスラと、口から答えが出るようになった。 「昔はイタいぐらいの目立ちたがり屋で〜」 自分の恥を晒すなんて。そう思っていたけれど、それを真っ直ぐ、時に面白がって聞いてくれる面接だった。 黒歴史に思えたあの頃の自分も、全部今の私に繋がっている。 もしも手持ちのカバンでは物足りないならば、昔の自分と目線を合わせてみると就活もいい旅になるかもしれない。 編集/コミック志望
自分を好きになった就活 編集/コミック志望
正直、昔から自分のことは大好きだ。でも外見にも中身にもたくさんコンプレックスがあって、長所よりも短所ばかりが目につく。だから就活で自分を売り込むなんてことやりたくなかった。
どうにか進路を定めて、就活に力を入れ始めたのは12月から。本選考の情報も出始めていて、「出版就活」という船には今ある手元の荷物だけで乗り込むしかなかった。何が私のセールスポイントなのかも分からず手探りで、急ピッチで作品名や作者名を頭に叩き込んで、緊張したら全部忘れて。まずは笑顔とノリだけで突き進んだ。
「20歳の自分へ」と、宛名書きされたかつての自分が書いた手紙のことを急に思い出して、棚の奥から引っ張り出したのは三次面接の直前だった。成人式でこれを受け取った時は、当時の厨二病真っ盛りだった自分を見たくなくて、そのまま棚に放り込んでいた。
「今幸せですか? 夢を追いかけていますか? kzはまだ好きですか?」
就活からの現実逃避に開けてみた。目も当てられないくらいイタいところもあったけれど、純粋でキラキラしていて、後に黒歴史になるなんて考えていなかった時の自分が眩しかった。
嫌になるほど痛々しい自分。黒歴史だと封印してきた自分。憧れだけを追いかけてそれで失敗して、忘れてしまいたくて、隠してしまいたい。でもそれこそが私の個性だったんじゃないか。初めてそれを認めることができた。
「学生時代どんな子だったの?」
どう答えようか。どう準備するか。
正解らしきものを探すことよりも私という人間を伝えることに切り替えた途端、迷うこともなくスラスラと、口から答えが出るようになった。
「昔はイタいぐらいの目立ちたがり屋で〜」
自分の恥を晒すなんて。そう思っていたけれど、それを真っ直ぐ、時に面白がって聞いてくれる面接だった。
黒歴史に思えたあの頃の自分も、全部今の私に繋がっている。
もしも手持ちのカバンでは物足りないならば、昔の自分と目線を合わせてみると就活もいい旅になるかもしれない。
「新卒就活、遅れていいのは2年まで」。 そんなネット記事を見て、社会から取り残されるかもしれないという不安感に襲われたのを覚えている。受験はどこも受からず1浪。大学では農業やバックパッカーなど、好きなことにのめり込み2年遅れ。計3年間のビハインドだ。この経歴で受け入れてくれる会社はあるのか。このままでいいのか。 そんな悩みに鬱々としていたある日、携帯がなった。友人の結婚式の連絡だった。周りは社会人として立派に働いている。その現実はさらに私の焦りに拍車をかけた。 何度も焦り、悩んだ末に出てきた答えは結局「ダメな自分も含めて裸でぶつかる」という開き直りだった。取り繕わずに挑んだ面接は楽しかった。『聲の形』や『惡の華』など、大好きな作品を作っている会社の人と素直に話せる機会だ。楽しくないわけがなかった。 だが順調に進んでいた最中、私が後ろめたく感じていることに突き刺さる質問にあたった。 「在学年数が2年間も延びているけど、これはなんで?」 その時の面接官は怪訝な顔をしているように見えた。なんだか罪人の気分だ。不安で頭が真っ白になったその時、ふと「裸一貫で挑む」と決めたことを思い出した。曝け出せ。そう言い聞かせた。私は今まで面白いと感じたことにとことん取り組んできた経験を話した後、満面の笑みで「たくさん寄り道して“好き”を突き詰めてきました!」と正直に答えた。すると面接官は笑って、「学生を満喫したんだね」と言ってくれた。 数日後、面接通過の連絡が来た。講談社はこんな寄り道だらけの私の人生を面白がって聞いてくれる器の大きい会社だった。経歴ではなく、自分の中身を知ろうとしてくれた。それがとても嬉しかった。 人それぞれ話しづらいことも恥ずかしいこともたくさんあると思う。けれどそれも全て捉え方次第だ。どんな経歴も人生の彩りだと胸を張り、楽しそうに話せば通じ合えるものがある。みんなおんなじ人間なのだから。私はそう願っている。 編集/コミック志望
裸一貫。隠さず進む 編集/コミック志望
「新卒就活、遅れていいのは2年まで」。
そんなネット記事を見て、社会から取り残されるかもしれないという不安感に襲われたのを覚えている。受験はどこも受からず1浪。大学では農業やバックパッカーなど、好きなことにのめり込み2年遅れ。計3年間のビハインドだ。この経歴で受け入れてくれる会社はあるのか。このままでいいのか。
そんな悩みに鬱々としていたある日、携帯がなった。友人の結婚式の連絡だった。周りは社会人として立派に働いている。その現実はさらに私の焦りに拍車をかけた。
何度も焦り、悩んだ末に出てきた答えは結局「ダメな自分も含めて裸でぶつかる」という開き直りだった。取り繕わずに挑んだ面接は楽しかった。『聲の形』や『惡の華』など、大好きな作品を作っている会社の人と素直に話せる機会だ。楽しくないわけがなかった。
だが順調に進んでいた最中、私が後ろめたく感じていることに突き刺さる質問にあたった。
「在学年数が2年間も延びているけど、これはなんで?」
その時の面接官は怪訝な顔をしているように見えた。なんだか罪人の気分だ。不安で頭が真っ白になったその時、ふと「裸一貫で挑む」と決めたことを思い出した。曝け出せ。そう言い聞かせた。私は今まで面白いと感じたことにとことん取り組んできた経験を話した後、満面の笑みで「たくさん寄り道して“好き”を突き詰めてきました!」と正直に答えた。すると面接官は笑って、「学生を満喫したんだね」と言ってくれた。
数日後、面接通過の連絡が来た。講談社はこんな寄り道だらけの私の人生を面白がって聞いてくれる器の大きい会社だった。経歴ではなく、自分の中身を知ろうとしてくれた。それがとても嬉しかった。
人それぞれ話しづらいことも恥ずかしいこともたくさんあると思う。けれどそれも全て捉え方次第だ。どんな経歴も人生の彩りだと胸を張り、楽しそうに話せば通じ合えるものがある。みんなおんなじ人間なのだから。私はそう願っている。
就活中あえて読まなかった本がある。講談社から刊行された2025年の話題書、難波優輝『物語化批判の哲学』(現代新書)だ。帯には「『何者かになりたい』は呪いだ。」と大書されており、就職面接で自分語りをしなければならないもどかしさへの批判が含まれていると一見して想像できる。それゆえ読めなかった。 就活を始めるのが少し遅く、インターンへの参加もおざなりになってしまった私は、企業が求める(と一方的にこちらが妄想した)像に合わせた自分語りを急ごしらえで構築するようになっていた。そこにあったのは何者かにならねばならない、という焦りだけ。うまくいくはずもない。受験したメディア系企業からじわじわと選考不通過の報せが届いた。 講談社の面接でもそうなるおそれはあった。 初の対面面接である二次面接にはスーツを着ていかなかった。お気に入りの栗色のジャケットに、そこそこエイジングされたジーンズで護国寺へ。少し気合を入れてはいるが普段着の範囲内だった。 面接官の質問は終始軽やかで、こちらがどういう人間であるかをときにダイレクトに、ときに搦め手から真摯に知ろうとするものだった。面接の終盤、一人の面接官から「好きなことしゃべってるときは楽しそうですね」と言われた。二次面接の通過がわかったのはその3日後だった。必要だったのは普段着のような自然体でいることなのだった。その後2回の面接も同じ格好で臨んだ。 さて、就活が終わって冒頭の話題書をようやく読んだ。著者の難波氏は固定化した自分語りのもつ危うさを指摘する。その解決策はさまざまあるが、一つとして日々脱ぎ着する服のようにアイデンティティを着替えてみることを勧める。曰く、そうすれば「日々揺れ動く自己や思いがけない自己の変容に目を向ける余地が生まれるはずだ」と。その時々に自らが感じることを自然体で受け入れ、話すこと。大事なことははじめから本の中にあった。 編集/学芸・学術・ノンフィクション・実用志望
就活中読まなかった本の話 編集/学芸・学術・ノンフィクション・実用志望
就活中あえて読まなかった本がある。講談社から刊行された2025年の話題書、難波優輝『物語化批判の哲学』(現代新書)だ。帯には「『何者かになりたい』は呪いだ。」と大書されており、就職面接で自分語りをしなければならないもどかしさへの批判が含まれていると一見して想像できる。それゆえ読めなかった。
就活を始めるのが少し遅く、インターンへの参加もおざなりになってしまった私は、企業が求める(と一方的にこちらが妄想した)像に合わせた自分語りを急ごしらえで構築するようになっていた。そこにあったのは何者かにならねばならない、という焦りだけ。うまくいくはずもない。受験したメディア系企業からじわじわと選考不通過の報せが届いた。
講談社の面接でもそうなるおそれはあった。
初の対面面接である二次面接にはスーツを着ていかなかった。お気に入りの栗色のジャケットに、そこそこエイジングされたジーンズで護国寺へ。少し気合を入れてはいるが普段着の範囲内だった。
面接官の質問は終始軽やかで、こちらがどういう人間であるかをときにダイレクトに、ときに搦め手から真摯に知ろうとするものだった。面接の終盤、一人の面接官から「好きなことしゃべってるときは楽しそうですね」と言われた。二次面接の通過がわかったのはその3日後だった。必要だったのは普段着のような自然体でいることなのだった。その後2回の面接も同じ格好で臨んだ。
さて、就活が終わって冒頭の話題書をようやく読んだ。著者の難波氏は固定化した自分語りのもつ危うさを指摘する。その解決策はさまざまあるが、一つとして日々脱ぎ着する服のようにアイデンティティを着替えてみることを勧める。曰く、そうすれば「日々揺れ動く自己や思いがけない自己の変容に目を向ける余地が生まれるはずだ」と。その時々に自らが感じることを自然体で受け入れ、話すこと。大事なことははじめから本の中にあった。
昔から、私は緊張するとお腹が痛くなる。部活の試合前、大学受験の当日、初めてのデートの前。大事な場面になればなるほど、私のお腹は律儀に反応してきた。念のため言っておくと、これまで漏らしてしまったことは一度もない。ただひたすら痛いのである。薬を飲んでも効かない。そんな体質だから、第一志望だった講談社の面接期間はなかなか大変だった。 しかし、不思議なことに、面接が始まると痛みはすっと消える。「好きな作品は?」「どんな漫画を作りたい?」そんな質問に答えているうちに、私はいつの間にか夢中になっていた。面接というより、好きなことについて語り合う雑談のような感覚だった。面接官の方々は、私の全てに興味を持ってくれたので、取り繕うことなく、自分の言葉で話すことができたと思う。 一方で、面接前のお腹の痛みは相変わらずだった。どの面接時も、面接ブースに案内してくれたのは毎回同じ人事の方だったので、毎度トイレに行っても良いか尋ねるのは正直かなり恥ずかしかった。ある時、そんな私に人事の方が笑いながらこう言った。 「それは立派なルーティーンだね。意外と良いことなんじゃない?」 これまで私は、お腹が痛くなることを欠点だと思っていた。しかし見方を変えれば、それは大事な場面に向けて心を整理し、気持ちを落ち着かせるための儀式だったのだ。私はバカらしくて笑ってしまった。なんと情けないルーティーンなのだと。なんだか、良くも悪くも私らしいなと妙に納得した。どこまでいっても泥臭く、格好つかない私にぴったりで、「これが自分なんだ」と思うと不思議と気が楽になった。 講談社の就活を通じて学んだのは、自分の弱さや癖を無理に消そうとしなくていいということだ。欠点だと思っているものも、見方を変えれば自分を支えてくれる武器になるかもしれない。だから大事な場面ほど、肩の力を抜いて、自分の好きなことを楽しく話せばいい。きっと面接官の方々は受け入れてくれるし、案外、その方が上手くいくのだと思う。 編集/コミック志望
武者震いはお腹から 編集/コミック志望
昔から、私は緊張するとお腹が痛くなる。部活の試合前、大学受験の当日、初めてのデートの前。大事な場面になればなるほど、私のお腹は律儀に反応してきた。念のため言っておくと、これまで漏らしてしまったことは一度もない。ただひたすら痛いのである。薬を飲んでも効かない。そんな体質だから、第一志望だった講談社の面接期間はなかなか大変だった。
しかし、不思議なことに、面接が始まると痛みはすっと消える。「好きな作品は?」「どんな漫画を作りたい?」そんな質問に答えているうちに、私はいつの間にか夢中になっていた。面接というより、好きなことについて語り合う雑談のような感覚だった。面接官の方々は、私の全てに興味を持ってくれたので、取り繕うことなく、自分の言葉で話すことができたと思う。
一方で、面接前のお腹の痛みは相変わらずだった。どの面接時も、面接ブースに案内してくれたのは毎回同じ人事の方だったので、毎度トイレに行っても良いか尋ねるのは正直かなり恥ずかしかった。ある時、そんな私に人事の方が笑いながらこう言った。
「それは立派なルーティーンだね。意外と良いことなんじゃない?」
これまで私は、お腹が痛くなることを欠点だと思っていた。しかし見方を変えれば、それは大事な場面に向けて心を整理し、気持ちを落ち着かせるための儀式だったのだ。私はバカらしくて笑ってしまった。なんと情けないルーティーンなのだと。なんだか、良くも悪くも私らしいなと妙に納得した。どこまでいっても泥臭く、格好つかない私にぴったりで、「これが自分なんだ」と思うと不思議と気が楽になった。
講談社の就活を通じて学んだのは、自分の弱さや癖を無理に消そうとしなくていいということだ。欠点だと思っているものも、見方を変えれば自分を支えてくれる武器になるかもしれない。だから大事な場面ほど、肩の力を抜いて、自分の好きなことを楽しく話せばいい。きっと面接官の方々は受け入れてくれるし、案外、その方が上手くいくのだと思う。
私が講談社に内定をいただけたのは「アフリカ」のおかげだと思う。そう、はるか昔、我々人類が誕生した場所である、あのアフリカのおかげだ。 大学3年生の春、入念な事前準備で小学校の漢字テストから入試までを乗り越えてきたイイコな私は、就活にもそれが通用すると信じていた。対策本を読み込み、企業研究を重ね、模範的なESを書く。準備は万全……のはずだった。しかし結果は惨敗。サマーインターンから早期選考まで、書類落ちが続いた。 そんなこんなで、講談社のESを前にした私は半ばやけになっていた。「どうせ落ちるんだから、好きなように書いてやる!」と専攻であるアフリカの話が半分以上を占めるESを書き上げた。添削に出せば赤字だらけになりそうな仕上がりのそれは、しかし、不思議なほどあっさりと書類選考を通過した。1次面接、2次面接、気づけば3次面接で「アフリカには結婚の際に男性が牛を贈る地域があって〜」と熱弁する私。 きっと採用担当の方々の間では「アフリカの子」と呼ばれていたに違いないと思う程度には(「牛の子」ではないと信じたい)、どの面接でもアフリカの話ばかりしていた。もっと自己PRになる話をすべきなのでは、と悩むこともあったが、にやけながら異国の地について語る自分は、「企業が求める人材〇選」というサイトを見ながら、アフリカという文字が一つも出てこないESを書いていた頃よりも、ずっと自然体で心地よかった。 アフリカのおかげで内定したと言うと、珍しいテーマを選ぶと有利だという意味に聞こえるかもしれない。しかし、私が言いたいのはそういうことではない。大切だったのは、自分が心から好きだと思うものを、自分の言葉で語ること。それが、私にとってはたまたまアフリカだったというだけだ。牛の話をして内定をいただいた人間がここにいるのだから、講談社が「ありのまま」を受け入れてくれる会社だというのはきっと間違っていない。 編集/文芸・ライトノベル志望
始まりの地と牛と 編集/文芸・ライトノベル志望
私が講談社に内定をいただけたのは「アフリカ」のおかげだと思う。そう、はるか昔、我々人類が誕生した場所である、あのアフリカのおかげだ。
大学3年生の春、入念な事前準備で小学校の漢字テストから入試までを乗り越えてきたイイコな私は、就活にもそれが通用すると信じていた。対策本を読み込み、企業研究を重ね、模範的なESを書く。準備は万全……のはずだった。しかし結果は惨敗。サマーインターンから早期選考まで、書類落ちが続いた。
そんなこんなで、講談社のESを前にした私は半ばやけになっていた。「どうせ落ちるんだから、好きなように書いてやる!」と専攻であるアフリカの話が半分以上を占めるESを書き上げた。添削に出せば赤字だらけになりそうな仕上がりのそれは、しかし、不思議なほどあっさりと書類選考を通過した。1次面接、2次面接、気づけば3次面接で「アフリカには結婚の際に男性が牛を贈る地域があって〜」と熱弁する私。
きっと採用担当の方々の間では「アフリカの子」と呼ばれていたに違いないと思う程度には(「牛の子」ではないと信じたい)、どの面接でもアフリカの話ばかりしていた。もっと自己PRになる話をすべきなのでは、と悩むこともあったが、にやけながら異国の地について語る自分は、「企業が求める人材〇選」というサイトを見ながら、アフリカという文字が一つも出てこないESを書いていた頃よりも、ずっと自然体で心地よかった。
アフリカのおかげで内定したと言うと、珍しいテーマを選ぶと有利だという意味に聞こえるかもしれない。しかし、私が言いたいのはそういうことではない。大切だったのは、自分が心から好きだと思うものを、自分の言葉で語ること。それが、私にとってはたまたまアフリカだったというだけだ。牛の話をして内定をいただいた人間がここにいるのだから、講談社が「ありのまま」を受け入れてくれる会社だというのはきっと間違っていない。
人生を20年と少し生きたころ、正しい道から外れ、暗い森をさまよっている自分に気付いた。いや、きっともっと前からさまよい続けていたのだろう。 昔から夢を見るのは苦手だった。内から湧き上がる情熱や人生を懸ける大きな野望は、全ての人に与えられるとは限らない。皆が目標に向かって真っ直ぐに努力し続ける世界はきっと素晴らしい世界に違いないが、私の席はそこにはないだろう。 「あなたの将来の目標を教えてください」 「そうしない方が好ましいのですが」 そう言いたくなる程に、私と人生の答え合わせとしての就職活動は相性が悪かった。過去の中にヒントを探そうとしても、半年前、一年前、四年前の自分は、今の自分とは少しずつ、あるいはまったく違う方向を向いて歩いていた。 それでも、今の自分にとって大切なもの、自分をそれまでとは違う道へと導いてくれた貴重な出会いが、そんなさまよいの中にあったことだけは確かだった。正しい道への全ての希望を捨てよう。迷い続け、変化し続ける自分として、私は講談社の選考へと漕ぎ出した。ESのたくさんの問いの中で、それまで意識してこなかった過去を見つけ、書き出す私は少し違う私になった。四度の面接。学生としての生活では接することのない色々な人たちとの会話は、毎回違ったかたちで刺激や、たくさんの学びをくれた。限られた時間ではあったが、貴重な時間の連続だった。面接を経るごとに、私は少しずつ違う方向へと迷っていったが、きっとその中で、変わらない私もあったのだろう。 選考が終わり、緊張と不安が緩んだ私は、長い未来のぼんやりとした影が通り過ぎていくのを見たような気がした。きっとその曖昧な未来を生きる私は、また別の仕方でさまよっているに違いない。総合出版社という多島海に進んだ舟が、最後にどこの岸辺にたどりつくのかは分からない。それでも、このエッセイを書き終えた舟の進路はまた少しだけ変わるのだろう。 編集/学芸・学術・ノンフィクション・実用志望
さまよえる人の手記 編集/学芸・学術・ノンフィクション・実用志望
人生を20年と少し生きたころ、正しい道から外れ、暗い森をさまよっている自分に気付いた。いや、きっともっと前からさまよい続けていたのだろう。
昔から夢を見るのは苦手だった。内から湧き上がる情熱や人生を懸ける大きな野望は、全ての人に与えられるとは限らない。皆が目標に向かって真っ直ぐに努力し続ける世界はきっと素晴らしい世界に違いないが、私の席はそこにはないだろう。
「あなたの将来の目標を教えてください」
「そうしない方が好ましいのですが」
そう言いたくなる程に、私と人生の答え合わせとしての就職活動は相性が悪かった。過去の中にヒントを探そうとしても、半年前、一年前、四年前の自分は、今の自分とは少しずつ、あるいはまったく違う方向を向いて歩いていた。
それでも、今の自分にとって大切なもの、自分をそれまでとは違う道へと導いてくれた貴重な出会いが、そんなさまよいの中にあったことだけは確かだった。正しい道への全ての希望を捨てよう。迷い続け、変化し続ける自分として、私は講談社の選考へと漕ぎ出した。ESのたくさんの問いの中で、それまで意識してこなかった過去を見つけ、書き出す私は少し違う私になった。四度の面接。学生としての生活では接することのない色々な人たちとの会話は、毎回違ったかたちで刺激や、たくさんの学びをくれた。限られた時間ではあったが、貴重な時間の連続だった。面接を経るごとに、私は少しずつ違う方向へと迷っていったが、きっとその中で、変わらない私もあったのだろう。
選考が終わり、緊張と不安が緩んだ私は、長い未来のぼんやりとした影が通り過ぎていくのを見たような気がした。きっとその曖昧な未来を生きる私は、また別の仕方でさまよっているに違いない。総合出版社という多島海に進んだ舟が、最後にどこの岸辺にたどりつくのかは分からない。それでも、このエッセイを書き終えた舟の進路はまた少しだけ変わるのだろう。
私は自分に自信がない。 確固たる人生の軸がない、これだけは誰にも負けないと言えるものもない。 自分の能力値をレーダーチャートで表した時に、凹む所がないように 全て90点を取れるように努力してきたつもりだが、 チャートがいびつでも、何か一つのことに取り憑かれたかのように楽しそうに 打ち込んでいる人間はいつも眩しくみえた。 普段からそんなことを考えていた私にとって就職活動はまさに鬼門だった。 就職活動では「自分らしく、ありのままに」そんな言葉をよく耳にしたが、そんなのは綺麗ごとだと思っていた。 第一志望だった講談社のESを前に、「何もない自分」をさらけ出すのが怖くて 「優秀そうにみえる」ESを必死に書き上げた。 そして講談社の採用試験に落ちて、社会人になった。 不満や不遇はなかった。前向きに頑張っていたと自信を持って言える。 でも、夢に向かってキラキラと目を輝かせて働く同僚たちと過ごすうちに胸の奥に燻る気持ちが次第に大きくなっていった。 そして、日々の生活に変わらず元気と勇気を届けてくれるのは「物語」たちだった。 私は、再受験を決意した。 すると、就活生時代は自分を武装するために必死に言葉を捻りだしていたESが少しスムーズに書けるようになっていた。 前回ほど対策時間も取れなかったのに面接でも以前より迷いなく答えられている気がした。 物凄いスキルが身に付いたわけでも、飛躍的に人間力が磨かれたわけでもない。 でも強いて言うなら、社会人として一から泥をすすった経験がほんの少し本当の自分をさらけ出す自信をプラスしてくれたのだと思う。 自分をさらけ出す面接は緊張したが、同時に自分の話を聞いて頷いてくれることが少し楽しかった。 改めて振り返っても、就活に正解なんてやっぱりないと思う。 でも、自信がなくて武装した言葉で塗り固めてしまったら、自分が持っているかもしれな い「何か」すら気づいてもらえなくなるのかもしれない、と思うようにはなった。 編集/コミック志望
蓋をあけてみないことには 編集/コミック志望
私は自分に自信がない。
確固たる人生の軸がない、これだけは誰にも負けないと言えるものもない。
自分の能力値をレーダーチャートで表した時に、凹む所がないように
全て90点を取れるように努力してきたつもりだが、
チャートがいびつでも、何か一つのことに取り憑かれたかのように楽しそうに
打ち込んでいる人間はいつも眩しくみえた。
普段からそんなことを考えていた私にとって就職活動はまさに鬼門だった。
就職活動では「自分らしく、ありのままに」そんな言葉をよく耳にしたが、そんなのは綺麗ごとだと思っていた。
第一志望だった講談社のESを前に、「何もない自分」をさらけ出すのが怖くて
「優秀そうにみえる」ESを必死に書き上げた。
そして講談社の採用試験に落ちて、社会人になった。
不満や不遇はなかった。前向きに頑張っていたと自信を持って言える。
でも、夢に向かってキラキラと目を輝かせて働く同僚たちと過ごすうちに胸の奥に燻る気持ちが次第に大きくなっていった。
そして、日々の生活に変わらず元気と勇気を届けてくれるのは「物語」たちだった。
私は、再受験を決意した。
すると、就活生時代は自分を武装するために必死に言葉を捻りだしていたESが少しスムーズに書けるようになっていた。
前回ほど対策時間も取れなかったのに面接でも以前より迷いなく答えられている気がした。
物凄いスキルが身に付いたわけでも、飛躍的に人間力が磨かれたわけでもない。
でも強いて言うなら、社会人として一から泥をすすった経験がほんの少し本当の自分をさらけ出す自信をプラスしてくれたのだと思う。
自分をさらけ出す面接は緊張したが、同時に自分の話を聞いて頷いてくれることが少し楽しかった。
改めて振り返っても、就活に正解なんてやっぱりないと思う。
でも、自信がなくて武装した言葉で塗り固めてしまったら、自分が持っているかもしれな
い「何か」すら気づいてもらえなくなるのかもしれない、と思うようにはなった。
三次面接の前夜、私のPCは突如クラッシュし、完全に電源が付かなくなった。24時間対応の修理業者に連絡するも「最短でも3日後になります」と告げられた。面接まであと10時間。深夜に都内の知人へ必死に連絡し、デバイスを貸してほしいと懇願しながら嘆いた。なぜ今なんだ、よりにもよって、神よ──。 当時、周囲からは「第一志望の内定が出た」という報告が聞こえ始める時期だった。焦る私は、「本当にこのままの志望動機でいいのか。もっと綺麗で、理路整然とした方がいいのではないか」と迷い、画面の前で言葉を練り直しては理論武装を分厚くする日々を送っていた。だが、このクラッシュ事件で全てが吹き飛んだ。手元からデータが消え去り、準備し尽くした言葉を思い返すことは不可能になった。 面接までの10時間、自己問答を重ねた。自分が本当に、心の底から面白いと感じるものは何か——。自問の末、私が幾度となく心を鷲掴みにされてきたのは、いつだって人の弱さやずるさ、綺麗事では片付けられない感情の揺れを隠さず描き切った「物語」だったのだと気づいた。迎えた本番の朝、記憶に残っていたのはそれだけだった。取り繕う余裕はなく、その気づきをそのままぶつけるしかなかった。講談社の面接官は、完璧な答えではない、むき出しの欲を受け止め、面白がってくれた。講談社はそういう懐の深い会社だった。 就職活動に向き合う皆さんも、周りと比べて焦り、ふと、かつての私のように、強烈な不安に襲われることがあるかもしれない。「私の感性は正しいのか」と疑い、もしかしたらシューカツの枠組みに合っていないと思い悩む時が来るかもしれない。どうか一度、自分の心に素直に向き合ってほしい。(私のように物理的に機材を壊さなくてもよいので、)一度飾った言葉から離れてみてほしい。そうすればおのずと奥底にある欲望は見えてくる。その感性こそが、あなたの土壇場に寄り添う最大の相棒になるだろう。 編集/ジャーナリズム・ニュースメディア志望
曝け出す 編集/ジャーナリズム・ニュースメディア志望
三次面接の前夜、私のPCは突如クラッシュし、完全に電源が付かなくなった。24時間対応の修理業者に連絡するも「最短でも3日後になります」と告げられた。面接まであと10時間。深夜に都内の知人へ必死に連絡し、デバイスを貸してほしいと懇願しながら嘆いた。なぜ今なんだ、よりにもよって、神よ──。
当時、周囲からは「第一志望の内定が出た」という報告が聞こえ始める時期だった。焦る私は、「本当にこのままの志望動機でいいのか。もっと綺麗で、理路整然とした方がいいのではないか」と迷い、画面の前で言葉を練り直しては理論武装を分厚くする日々を送っていた。だが、このクラッシュ事件で全てが吹き飛んだ。手元からデータが消え去り、準備し尽くした言葉を思い返すことは不可能になった。
面接までの10時間、自己問答を重ねた。自分が本当に、心の底から面白いと感じるものは何か——。自問の末、私が幾度となく心を鷲掴みにされてきたのは、いつだって人の弱さやずるさ、綺麗事では片付けられない感情の揺れを隠さず描き切った「物語」だったのだと気づいた。迎えた本番の朝、記憶に残っていたのはそれだけだった。取り繕う余裕はなく、その気づきをそのままぶつけるしかなかった。講談社の面接官は、完璧な答えではない、むき出しの欲を受け止め、面白がってくれた。講談社はそういう懐の深い会社だった。
就職活動に向き合う皆さんも、周りと比べて焦り、ふと、かつての私のように、強烈な不安に襲われることがあるかもしれない。「私の感性は正しいのか」と疑い、もしかしたらシューカツの枠組みに合っていないと思い悩む時が来るかもしれない。どうか一度、自分の心に素直に向き合ってほしい。(私のように物理的に機材を壊さなくてもよいので、)一度飾った言葉から離れてみてほしい。そうすればおのずと奥底にある欲望は見えてくる。その感性こそが、あなたの土壇場に寄り添う最大の相棒になるだろう。
その日は、幼少期から漠然と孕んでいた願望が、はっきりとした質量をもった夢となって生まれた誕生日だ。 浪人生活が2年目にさしかかりながらも実家の寝床で時間を無為に過ごしていた私の網膜をつんざいたのは、マンガ家・三浦建太郎氏の訃報だった。人生の終わりは、当人の功績など全く意に介さず、不意に訪れるという現実を突き付けられた。 人生は短い。初めて、自分が本当になりたいものを思案した。心臓外科医、公安、操縦士、水先案内人、技巧派右腕、頑固親父……突飛な将来像まであれこれ思い描く中で、ふと冷静になってマンガ編集者に落ち着いた。それらは全てマンガ体験に由来した夢であったから、その源泉を仕事にするのが最も妥当だと思われたからだ。 「本当にアフタヌーン編集部が第一志望なの?」 講談社の最終面接まで某出版社の選考が並行していた私は、ほぼ全ての面接でこの質問を浴びせられた。そして、ここに就職活動のジレンマ的要素を痛感せざるをえなかった。それは、「回答の真偽を証明する手立てがほぼ存在しない」ということだ。 そんななか印象的だったのは、三次面接での『ヒストリエ』に関するやりとりだ。「どのシーンが一番好きか」と問われ、「単行本10巻の~」云々答えると、「もっと具体的にそのシーンの魅力を説明してほしい」と求められた。 「証明」のチャンスが到来した。真偽のほどが定かではない熱意や経験ではなく、マンガ編集者志望としての視点・解釈・表現という偽りようのない情報のみで「わたし」を詳らかにできるという意味での「証明」だ。数多の情報が蓄積された脳みそと、それを紡ぐ語り口こそが最大の武器だった私にとって、この一幕は渡りに船であった。 だからこそ、面接本番には余計なものは携えずに裸一貫で臨み続けた。己が身一つ以外に何も示すものはないと信じていたからだ。 と、不遜に回想しているが、最終面接ではよりによって「力石徹」の名をど忘れした始末だ。 編集/コミック志望
2021年5月20日 編集/コミック志望
その日は、幼少期から漠然と孕んでいた願望が、はっきりとした質量をもった夢となって生まれた誕生日だ。
浪人生活が2年目にさしかかりながらも実家の寝床で時間を無為に過ごしていた私の網膜をつんざいたのは、マンガ家・三浦建太郎氏の訃報だった。人生の終わりは、当人の功績など全く意に介さず、不意に訪れるという現実を突き付けられた。
人生は短い。初めて、自分が本当になりたいものを思案した。心臓外科医、公安、操縦士、水先案内人、技巧派右腕、頑固親父……突飛な将来像まであれこれ思い描く中で、ふと冷静になってマンガ編集者に落ち着いた。それらは全てマンガ体験に由来した夢であったから、その源泉を仕事にするのが最も妥当だと思われたからだ。
「本当にアフタヌーン編集部が第一志望なの?」
講談社の最終面接まで某出版社の選考が並行していた私は、ほぼ全ての面接でこの質問を浴びせられた。そして、ここに就職活動のジレンマ的要素を痛感せざるをえなかった。それは、「回答の真偽を証明する手立てがほぼ存在しない」ということだ。
そんななか印象的だったのは、三次面接での『ヒストリエ』に関するやりとりだ。「どのシーンが一番好きか」と問われ、「単行本10巻の~」云々答えると、「もっと具体的にそのシーンの魅力を説明してほしい」と求められた。
「証明」のチャンスが到来した。真偽のほどが定かではない熱意や経験ではなく、マンガ編集者志望としての視点・解釈・表現という偽りようのない情報のみで「わたし」を詳らかにできるという意味での「証明」だ。数多の情報が蓄積された脳みそと、それを紡ぐ語り口こそが最大の武器だった私にとって、この一幕は渡りに船であった。
だからこそ、面接本番には余計なものは携えずに裸一貫で臨み続けた。己が身一つ以外に何も示すものはないと信じていたからだ。
と、不遜に回想しているが、最終面接ではよりによって「力石徹」の名をど忘れした始末だ。
私は「負の感情」を燃料に動いている。 大学院に行くほど学問に力を注げたのは、何でも要領よくこなし、勉強でもあっという間に私を追い抜いて行った中学時代の友人への劣等感が根底にある。柔道を未だに続けているのだって、かつてコテンパンにご指導いただいた師を畳に沈め、引導を渡してやろうと思っているからだ。 人生を振り返ると、私は暗い感情で動くことにおいては、他の追随を許さぬ超低燃費の個体であった。しかし、就活を始めた当初は打ち倒すべき敵も、見返したい因縁の相手も存在せず、動き出すための衝動が無いガス欠状態。人生の一大事だというのに、研究の合間に求人サイトを眺めては焦燥感だけを募らせ、何もしない日々が続いた。そんな時に参加した講談社のWeb座談会で聞いた言葉は鮮烈で、一年ほど経った今でも覚えている。 「入社してから楽しくなかった瞬間は一秒もないです」 そんな風に社員の方が、仕事の魅力を愉快そうに語る姿を見た時、自分の中でチリチリと「嫉妬」という負の感情が燃え始めたのを感じた。ずるい。才能を支え、好きなものの一番近くで仕事をする姿が羨ましくてしょうがない。私の動力炉に煮えたぎる燃料が注ぎ込まれた瞬間だった。 醸成され続けた嫉妬を抱え、心がパツパツになりながら受けた面接では、コンプレックスや過去の失敗から生まれた感情を、言葉を尽くして話した。これだけ自分の恥部と向き合った人間はいないだろうという、後ろ向きの痛々しいプライドが面接官の方の顔をほころばせる一助となったと今は思う。 さて、就活は辛い。残酷な選考フローを前に、諦めた方が楽なんじゃないかと悩む人もいるだろう。尖った部分が見当たらず、空っぽな自分を直視して泣きそうな人もいるだろう。周りが内定を得て、焦燥感だけが先走って何をすればいいか分からなくなっている人もいるだろう。 そんな感情は全部燃やして、前に進む燃料にしてしまえばいいのだ。 編集/コミック志望
超高効率持続可能燃料 編集/コミック志望
私は「負の感情」を燃料に動いている。
大学院に行くほど学問に力を注げたのは、何でも要領よくこなし、勉強でもあっという間に私を追い抜いて行った中学時代の友人への劣等感が根底にある。柔道を未だに続けているのだって、かつてコテンパンにご指導いただいた師を畳に沈め、引導を渡してやろうと思っているからだ。
人生を振り返ると、私は暗い感情で動くことにおいては、他の追随を許さぬ超低燃費の個体であった。しかし、就活を始めた当初は打ち倒すべき敵も、見返したい因縁の相手も存在せず、動き出すための衝動が無いガス欠状態。人生の一大事だというのに、研究の合間に求人サイトを眺めては焦燥感だけを募らせ、何もしない日々が続いた。そんな時に参加した講談社のWeb座談会で聞いた言葉は鮮烈で、一年ほど経った今でも覚えている。
「入社してから楽しくなかった瞬間は一秒もないです」
そんな風に社員の方が、仕事の魅力を愉快そうに語る姿を見た時、自分の中でチリチリと「嫉妬」という負の感情が燃え始めたのを感じた。ずるい。才能を支え、好きなものの一番近くで仕事をする姿が羨ましくてしょうがない。私の動力炉に煮えたぎる燃料が注ぎ込まれた瞬間だった。
醸成され続けた嫉妬を抱え、心がパツパツになりながら受けた面接では、コンプレックスや過去の失敗から生まれた感情を、言葉を尽くして話した。これだけ自分の恥部と向き合った人間はいないだろうという、後ろ向きの痛々しいプライドが面接官の方の顔をほころばせる一助となったと今は思う。
さて、就活は辛い。残酷な選考フローを前に、諦めた方が楽なんじゃないかと悩む人もいるだろう。尖った部分が見当たらず、空っぽな自分を直視して泣きそうな人もいるだろう。周りが内定を得て、焦燥感だけが先走って何をすればいいか分からなくなっている人もいるだろう。
そんな感情は全部燃やして、前に進む燃料にしてしまえばいいのだ。
「数学科からどうして芸術系の大学院に?」進路を話すたびに、何度もそう聞かれた。自分でも、もっともだと思っていた。 私は昔から数学が得意で、複雑な問題を解くことや整理して考えることに心地よさを感じていた。その延長線上で数学科に進んだ。一方で、漫画やアニメ、小説は幼い頃からずっと好きだった。新たな世界を見せてくれて、日常を豊かにしてくれる存在だった。ただ、好きという感情は進路とは別の場所に置いていた。好きなものは生活を支えてくれるが、仕事にするものではない。どこかでそう決めつけていた。 そんな自分の見方を変えたのは講談社の『ブルーピリオド』だった。知らない場所に踏み込む怖さと、それでも手を伸ばさずにはいられない切実さが描かれていた。読後、好きなものに近づく努力をしてもいいのかもしれない、と初めて思えた。私は数学科から芸術系大学院への進学を決めた。作品を感想で終わらせず、なぜ心が動くのかを考えるようになった。授業に出て批評の言葉を覚え、好きだった作品を研究対象として見直すうちに、好きが憧れではなく進路の道標になっていった。得意と好きがつながることを知った。 ただ、就職活動の場面では、整理して話すだけでは足りないことも知った。出版社らしい言葉を探し、整った回答を並べるほど、かえって自分の熱が見えにくくなった。三次面接では、「なんかよそよそしいね」、「本当にやりたいことは何?」と問い返された時、熱量の見えにくさを強く感じた。その時に立ち返ったのが、数学科から大学院へ進んだ時の迷いや、『ブルーピリオド』を読んだ時の気持ちだった。そうして、自分の核にあったのは、人生にさまざまなきっかけや豊かさを与えてくれた作品や作家さんを支える仕事がしたい、というシンプルな思いだと気づいた。作品に背中を押され、自分が決めた進路選択の理由まで話して初めて、私は「なぜここで働きたいのか」を語れた気がする。 編集/コミック志望
得意の外側へ 編集/コミック志望
「数学科からどうして芸術系の大学院に?」進路を話すたびに、何度もそう聞かれた。自分でも、もっともだと思っていた。
私は昔から数学が得意で、複雑な問題を解くことや整理して考えることに心地よさを感じていた。その延長線上で数学科に進んだ。一方で、漫画やアニメ、小説は幼い頃からずっと好きだった。新たな世界を見せてくれて、日常を豊かにしてくれる存在だった。ただ、好きという感情は進路とは別の場所に置いていた。好きなものは生活を支えてくれるが、仕事にするものではない。どこかでそう決めつけていた。
そんな自分の見方を変えたのは講談社の『ブルーピリオド』だった。知らない場所に踏み込む怖さと、それでも手を伸ばさずにはいられない切実さが描かれていた。読後、好きなものに近づく努力をしてもいいのかもしれない、と初めて思えた。私は数学科から芸術系大学院への進学を決めた。作品を感想で終わらせず、なぜ心が動くのかを考えるようになった。授業に出て批評の言葉を覚え、好きだった作品を研究対象として見直すうちに、好きが憧れではなく進路の道標になっていった。得意と好きがつながることを知った。
ただ、就職活動の場面では、整理して話すだけでは足りないことも知った。出版社らしい言葉を探し、整った回答を並べるほど、かえって自分の熱が見えにくくなった。三次面接では、「なんかよそよそしいね」、「本当にやりたいことは何?」と問い返された時、熱量の見えにくさを強く感じた。その時に立ち返ったのが、数学科から大学院へ進んだ時の迷いや、『ブルーピリオド』を読んだ時の気持ちだった。そうして、自分の核にあったのは、人生にさまざまなきっかけや豊かさを与えてくれた作品や作家さんを支える仕事がしたい、というシンプルな思いだと気づいた。作品に背中を押され、自分が決めた進路選択の理由まで話して初めて、私は「なぜここで働きたいのか」を語れた気がする。
「なんか、言葉に重みを感じないね」 その一言とともに、私は講談社の面接に落ちた。二次面接、2025年3月のことだ。 当時の私はそのまま滑落を続け、気付けば夏。内定はゼロ。 それでも出版業界を諦めきれず、一年間休学しての就活浪人を敢行した。 26年度の採用が本格化するまでは、実績になればとも思い、サークルや外部団体での同人活動に注力した。結果としては世に誇れる企画を完遂し、その道中で様々な技能を磨くこともでき、悔いのない時間を過ごせた。 しかし、迎えた二度目の就活で最も私を助けてくれたのは、休学中に得た実績やスキルではなく、「あれだけのことができたのだから、自分なら大丈夫だ」という自信だった。 思えば、一年目の就活では不安があった。 どこに出しても恥ずかしくない大学生活を送ってきた自負はあったが、それでもどこか自分の価値を信じ切れず、嘘はつかずとも自分をより大きく見せようとしていた。 件の面接で見咎められたのは、そんな不安から来る浮つきだったのかもしれない。 今回の就活では自分を信じ、ありのままに臨んだ。準備していない質問も、当意即妙で堂々と切り抜けてきた──つもりだったが、面接官の方は後日、「面接した就活生で一番しどろもどろだったよ」と笑っておられた。 「ただ、生真面目な性根は伝わってきた」とも。 講談社は良くも悪くも等身大の姿を評価してくれる、懐の深い会社だった。 就活は、怖い。 憧れの企業から試される場に立てば、小手先の技術にも限界がくる。 正念場であなたを支えるもの。 それは、あなたが全身全霊で過ごしてきた嘘偽りのない時間だ。 そこで培ってきたあなただけの個性だ。 そして何より、「だから自分は大丈夫なのだ」と、あなた自身に置いてやれる信の篤さだ。 AI任せのES、解答集頼みのWebテスト、お仕着せの面接対策。 欺瞞の蔓延る就活の海原に、これから漕ぎだすあなたに伝えたい。 フェイクだらけの就活で、あなただけがリアルだ。 編集/文芸・ライトノベル志望
フェイクだらけの就活でお前だけがリアル 編集/文芸・ライトノベル志望
「なんか、言葉に重みを感じないね」
その一言とともに、私は講談社の面接に落ちた。二次面接、2025年3月のことだ。
当時の私はそのまま滑落を続け、気付けば夏。内定はゼロ。
それでも出版業界を諦めきれず、一年間休学しての就活浪人を敢行した。
26年度の採用が本格化するまでは、実績になればとも思い、サークルや外部団体での同人活動に注力した。結果としては世に誇れる企画を完遂し、その道中で様々な技能を磨くこともでき、悔いのない時間を過ごせた。
しかし、迎えた二度目の就活で最も私を助けてくれたのは、休学中に得た実績やスキルではなく、「あれだけのことができたのだから、自分なら大丈夫だ」という自信だった。
思えば、一年目の就活では不安があった。
どこに出しても恥ずかしくない大学生活を送ってきた自負はあったが、それでもどこか自分の価値を信じ切れず、嘘はつかずとも自分をより大きく見せようとしていた。
件の面接で見咎められたのは、そんな不安から来る浮つきだったのかもしれない。
今回の就活では自分を信じ、ありのままに臨んだ。準備していない質問も、当意即妙で堂々と切り抜けてきた──つもりだったが、面接官の方は後日、「面接した就活生で一番しどろもどろだったよ」と笑っておられた。
「ただ、生真面目な性根は伝わってきた」とも。
講談社は良くも悪くも等身大の姿を評価してくれる、懐の深い会社だった。
就活は、怖い。
憧れの企業から試される場に立てば、小手先の技術にも限界がくる。
正念場であなたを支えるもの。
それは、あなたが全身全霊で過ごしてきた嘘偽りのない時間だ。
そこで培ってきたあなただけの個性だ。
そして何より、「だから自分は大丈夫なのだ」と、あなた自身に置いてやれる信の篤さだ。
AI任せのES、解答集頼みのWebテスト、お仕着せの面接対策。
欺瞞の蔓延る就活の海原に、これから漕ぎだすあなたに伝えたい。
フェイクだらけの就活で、あなただけがリアルだ。